<ぶらり壱岐島>
魏志倭人伝に記された玄界灘に浮かぶ歴史ロマンの小島
大陸と日本本土の間、福岡からフェリーで2時間ほどの沖合い、玄界灘に浮かぶ壱岐の島がある。
島の歴史は古く、弥生時代の3世紀頃の日本を記した中国の歴史書三国志の
魏志倭人伝に一支国と書かれているのは、この壱岐のことである。
奈良時代には日本の国の中で、最も小さいながら一つの国として認められ、
当時、国ごとに一つだけ設置される国分寺や安国寺があった。
遣隋使・遣唐使などは、この島を寄港地として往来し、大陸文化は対馬と壱岐を経由して伝り、
古来から大陸との架け橋となった島である。
鎌倉時代には元寇(文永・弘安の役)で蒙古軍により二度わたり壊滅的な打撃をうけ、
島にはその時の戦跡も数多く残る。古代から中世までの歴史ロマンの島である。
※久しぶりにリフレッシュできました!
|

壱岐島 |
壱岐島は、九州と対馬の中間に位置し、
九州北方の玄界灘にある
南北17km・東西14kmの島。
周囲には23の属島(有人島4・無人島19)
が存在し、まとめて壱岐諸島と呼ぶそうです。 |

猿岩 |
壱岐を代表する奇岩の猿岩
黒崎半島のさらに先端にある高さ
45mの海蝕崖の玄武岩。
そっぽを向いた猿にそっくりで、
気紛れな自然の造形に驚かされる。
 |

黒崎砲台跡 |
日露戦争に備えた東洋一の砲台跡
口径41cmのカノン砲二門の砲台で
砲身の長さ18.83m、
弾丸の重さ1t、最大射程距離約35km
 |

壱岐風土記の丘 |
敷地内には江戸時代中期の様式の
古民家を建築復元
管理棟には町内にある遺跡からの出土品を展示

|