出張先での雑記帖



壱岐島
Iki Island


気分転換に旅先(モチロン仕事)での画像をお届けします!
(印象に残った画像を都度掲載予定です)






2012年 3月 4日(日) 壱岐島(長崎県)

<ぶらり壱岐島>

魏志倭人伝に記された玄界灘に浮かぶ歴史ロマンの小島

大陸と日本本土の間、福岡からフェリーで2時間ほどの沖合い、玄界灘に浮かぶ壱岐の島がある。
島の歴史は古く、弥生時代の3世紀頃の日本を記した中国の歴史書三国志の
魏志倭人伝に一支国と書かれているのは、この壱岐のことである。
奈良時代には日本の国の中で、最も小さいながら一つの国として認められ、
当時、国ごとに一つだけ設置される国分寺や安国寺があった。
遣隋使・遣唐使などは、この島を寄港地として往来し、大陸文化は対馬と壱岐を経由して伝り、
古来から大陸との架け橋となった島である。
鎌倉時代には元寇(文永・弘安の役)で蒙古軍により二度わたり壊滅的な打撃をうけ、
島にはその時の戦跡も数多く残る。古代から中世までの歴史ロマンの島である。


久しぶりにリフレッシュできました!



壱岐島
壱岐島は、九州と対馬の中間に位置し、
九州北方の玄界灘にある
南北17km・東西14kmの島。

周囲には23の属島(有人島4・無人島19)
が存在し、まとめて壱岐諸島と呼ぶそうです。

猿岩
壱岐を代表する奇岩の猿岩
黒崎半島のさらに先端にある高さ
45mの海蝕崖の玄武岩。
そっぽを向いた猿にそっくりで、
気紛れな自然の造形に驚かされる。



黒崎砲台跡
日露戦争に備えた東洋一の砲台跡
口径41cmのカノン砲二門の砲台で
砲身の長さ18.83m、
弾丸の重さ1t、最大射程距離約35km



壱岐風土記の丘
敷地内には江戸時代中期の様式の
古民家を建築復元
管理棟には町内にある遺跡からの出土品を展示